kumac's Jazz -5ページ目

中川ワニ『Nakagawa Wani Jazz Book』

 とても面白いジャズの本に巡り会いました。もっと正確に、kumac がこの本に出会って、読んだときの感情を表現すると、「うわ!なんて楽しい(本な)んだ!」、「飛び上がるほど、俺、嬉しい!」、「そうそう、そうだよね。」、「ウォー、いいなぁ」、「アヒャ-!」、「全く同感」、「えっ、こんな世界もあったんだ」。

 てな、感じです。

 要するに、すごく面白いです。

 中川ワニ氏は、珈琲豆の焙煎を業としています。この本では、珈琲焙煎人と書かれています。お店も持っていまるようですが、全国各地を旅をして、美味しい珈琲の淹れ方を伝授している(?)方です。そこまでは、私も知っていました。なんとなく、ですが。その方が、どうしてジャズの本?となるのですが。

 珈琲豆の焙煎業とジャズの関係は、とりあえず、全く関係ない、ということだと思います。

 この本は、中川ワニ氏のジャズのCDの聴き方を、日常の生活に溶け込んだ独白的な描写で表現したエッセイです。

 じゃあ、何が面白いのかというと、やはりその聴き方なんですね。

 中川氏は、「現代ジャズ」を聴く。「現代ジャズ」とは何か?。それは、中川氏は「1990年代から現在までのジャズ(ジャズのCD)」と書いています。そして、その聴き方が、ジャズの系譜をまったく無視しているのです。

 例えば、「現代ジャズを聴くとは、ピアノトリオのCDを聴くことである。」と書き、その上で「ピアニストのでビュー作品は必ず買う。」と書いています。評判など、まったく気にしないで、知らないミュージシャンでも買います。その上で、当たり外れもあるわけですが、そういう聴き方をしていると、中川氏にしかわからないジャズの魅力が見えてくると思います。時には、人になかなか伝わらないかも知れませんが。

 中川氏は、文章から察するに、最初はジャズのLPを大分聴いたようです。ですから、基本的なジャズの名盤、珍版はほとんど所持して聴いたと思われます。だから、当然にジャズの系譜は十二分な知識を持ち、ご承知だと思います。

 その上で、今、かなり乱暴な、荒い、ジャズの聴き方をしているところが、凄いです。

 この本は、文章はさほど量的には多くありません。見開き2ページに文字数として約400文字程度です。ランブル(ページ数)振られていない本なので、全部で何ページあるのかわかりませんが、文字の代わりに、CDのジャケットがカラーでいっぱい載っています。全部でざっと560枚(約百枚ぐらいさば読んでいます)あると思います。

 これまた凄いのは、この中に、いわゆるジャズの名盤、名盤でなくてもある程度評判になったものは、多分、一つも無いと思います。kumac も、その中で、自分が聴いたもの、持っているものは、たった5枚ぐらいだけです。ジャズのCDの買い方としては、最近は金欠で、けっこうな値段がする新譜を買っていないのですが、kumac もどちらかというと評判を気にせずにCDショップに行って、知らないミュージシャンの新譜を買う方なのですが、それでも中川氏の買ったCDと合う確率は1%しかないのです。

 kumac がこのブログで知り合った方は、結構、マニアックな新譜を聴かれる方が多いのですが、それでも約560枚の内、どれだけの枚数を共通に聴いているのか、あまり多くはないのではないでしょうか。ジャズのCDなんて、沢山の新譜が毎日世に出ているということなのでしょうが、その果てしない(と思ってしまう)海の中を、どんな座標軸で航行するのか、ひとそれぞれで、でも同じ感覚の人に出会うと、なんか嬉しくなります。

 最後に、この本と縁を感じることを幾つか書かせていただきます。

 一つは、金沢で一番に kumac が気に入ったジャズ喫茶が、「穆然」です(1回しか行ったことがありませんが)。中川氏は金沢出身で、この「穆然」の常連さんのようです。

 一つには、この本の出版元が金沢の「あうん堂」のあうん堂本舗です。あうん堂は、なかなか手に入らない能登和紙の原稿用紙を送っていただいたりしたことのある古本とカフェの店です。

 こう書いちゃなんですが、評論や伝記やオーディオや入門関係の本を除けば、村上春樹のジャズの本と完全に双璧を成すジャズの本(装丁や編集も含めて)だと思います。村上春樹のジャズの本を、コアラとすれば、中川ワニ氏の本は、ユーカリの葉っぱでみいなものかもしれません。どちらもないと、この世の中にコアラは存在できないです。

 ちなみに、この本は、かのアマゾンでは購入できません。売り切れ(絶版)でもないようなので、この点でも村上春樹のアマゾン対策と双璧を成すかもしれません。

 唯一、kumac がどうしようもなかったのは、苦手なボーカル(特に女性物が多い)物が多いということでしょうか。でも、聴きたいと思った女性ボーカルの人の名前が、頭の中に幾人かインプットされました。


 最後に、最後にと書いておきながら、最後の最後です。関係ないと書いておきながら書くのは、どうかと思いますが。中川氏のジャズと珈琲焙煎の関係ですが、一言で言えば「感性」の問題かと思います。如何に、集中して感性を研ぎ澄ますことができるのか。その勝負です。

 珈琲の香り、味を確かに受け止めるには、感性を持つことが大事な要素になります。

 先入観なくジャズを理解するためには、メロディーやリズムや間を感じ取る、これまた感性が大事です。


nakagawawani


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Satori Kawakami『Ballerina』

 以前、ドキュメンタリー作品で、評価を得たある若い映画監督と表現の話をしたとき、「作品で主張したいことを観客に伝わるようにするのに心がけたことはありますか?」という私の問に対して、彼女は「言いたいことは、声を小さく」するようにしたと、応えてくれました。

 この川上さとみの新作『バレリーナ』の冒頭の作品「ダマスク・ローゼズ」を聴きながら、何故かそんなことを思い出しました。最初に2曲に、印象が強く残る力強い作品ではなくて、バラードタッチの静穏な曲を持ってきたことから、意外性を感じ、そう思ったのかもしれませんが、どうもそれだけではないような気がしながら聴いています。

 つまり、激しい曲であろうとなかろうと、タッチが「さりげない」のですね。ちょっと、表現が(自分が感じている感覚を表すのに)十分でないかもしれませんが、「そのさりげなさ」が極まりつつあるような気がします。もっと、高みはあるのでしょうが、あたかも頂点に達したかのような印象があります。

 具体的に書けば、3曲目「テン・フィンガーズ」は、『Diamonds』の、印象が強く残る冒頭の「Royal Road」に繋がる印象を持つし、4曲目の「パールズ」は、『Orchid』の冒頭の「Blue Violet」に繋がる印象を持ちます。それは、川上さとみのこれまでの演奏を代表する作品、彼女の個性(タッチの美しさ、濃くのある音の余韻等)を強く感じさせるのですが、冒頭の「ダマスク・ローゼズ」とそれに続く新作 CD のタイトル曲「バレリーナ」は、これまでの彼女のどれでもない、すがすがしさを感じさせます。その「すがすがしさ」は、最初に書いた「声を小さく」ということに関係するような気がします。力を入れず、「さりげなく」演奏している、そのことが強く伝わってきます。

 もっと、書けば、「さりげなく」表現できることは、かなり難しいことだと思います。得てして、平坦になってしまい、つまらない作品になりがちです。その理由の多くは、肝心の自分を表現できていないからだと思います。でも、川上さとみは、この作品で「さりげなく」自分を表現しています。力を込めなくても、いち音いち音の、音そのものが個性を感じさせるものに近づいている気がします。

 ライナーノーツ氏が、「あなたのピアノの源流はどこにあるのでしょう」と川上さとみに尋ねたときの話を書いています。川上さとみは、キリッとした顔になり「自分は自分、他の誰とも似ていない」と応えたと。

 以前、kumac も同じような質問をしたことがあります。「影響を受けたジャズピアニストは誰ですか」といった質問だったような気がしています。答えは即座に帰ってきました。「いない」と。それは、彼女の意志の強さだと、そのときは思ったのですが、そればかりではないものを、この『バレリーナ』を聴いていて思った次第です。

 屁理屈はこれくらいにして、人生が一日一日の偶然の繋がりだとしたら、その二度と無い一日の休息の一夜に、疲れた身を癒やすには、このバレリーナはもってこいの作品です。


Ballerina/ポニーキャニオン

¥3,000
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Stan Getz『Captain Marvel』

 チック・コリアをジャズ界の表舞台に登場させた恩人がスタン・ゲッツとしたら、チック・コリアがフリーフォームのジャズを経て己自身とジャズの無理のない調和ある世界を獲得できたのは、リターン・フォー・エヴァーでの活動のおかげと言ってもいいのかもしれません。

 その両者が、時を経て、まだ再会とまでは言えない、さほど経っていない年月で相まみえた作品です。録音が1972年。この時期、ジャズの本流は、ロックや電子音楽の影響が強く、スタン・ゲッツにとっては、不遇な時期ではなかったかと思います。その意味で言えば、流行の先端をゆく、チック・コリアのスタイルにあやかろうという魂胆は見えます。スタン・ゲッツは、自己の信念を押し通すほど頑固ではなく、どちらかといえばボサ・ノヴァ路線に走ったかと言えば、電子楽器を取り入れたりと、新しいものには敏感だったと思うのですが、結局、若い頃に会得したオーソドックスなジャズのスタイルに終始したミュージシャンではないかと思います。

 この作品でも、完全リターン・フォー・エヴァー調の演奏に対して、スタン・ゲッツのソロは、スタイルを変えることなく、吹いていますが、どことなくラテン調のリズムに乗れないところが感じられ、湯水のごとく湧いてくる彼独特のメロディアンスでスピード感があるソロは、あまり聴くことができません。

 あまり、決め事はなく、自由にアドリブ主体で曲を演奏しているので、間延びする印象がありますが、その分、それぞれの奏者の力量、あるいはこの録音に臨むにあたっての調子が測れる感じです。

 全体的に騒がしいです。その原因は、明らかで、ドラムにトニー・ウイリアムスを持ってきたことにあると思います。引き立て役に徹するつもりで叩いているのでしょうが、どうしても決めにいってしまっています。それが、少々、煩いです。ライナーノーツ氏の中山氏は、このドラミングの煽りが凄いと絶賛していますが、あまりにもメリハリがないような気が kumac にはします。

 とは言っても、とても、ある意味、スタン・ゲッツの創造性の限界(万能ではないこと)を知ることのできる、楽しい作品だと思います。




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Captain Marvel/Sbme Special Mkts.

¥908
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Alberto Marsico & Organ Logistics『4/4』

 イタリアのオルガン奏者、アルベルト・マルシコのトリオアルバムです。構成は、アルベルト・マルシコのオルガンに Diego Borotti のテナーサックス、アレッサンドロ・ミネットのドラムです。構成だけを考えれば、ファブリッツオ・ボッソとのスピリチャルからトランペットがテナーサックスに変わっただけですが、アルバムのコンセプトが全く違います。よって、演奏はよりコンテンポラリーなジャズに仕上がっています。
 
 大きな違いの第一点は、当然ながら、主役はアルベルト・マスシコです。彼が今、やりたい音楽を展開しているという理解でいいでしょう。オルガンという楽器の特徴から、よりソウルフルな、言ってみればスピリチュアルのような教会音楽まで遡る根源的な魂を揺さぶるイメージの音楽が似合うのですが、この作品では、ソウルの魂は全く失わず、その上に原点回帰ではなく、現代的な感覚を追い求めています。

 ジャズにおけるオルガン演奏は、教会音楽の雰囲気を創り出す心理的な空間音楽から始まり、それをハードバップ時代のジミー・スミスがエネルギッシュな自己主張の音楽に変え、その後のロックミュージックやソウルミュージックの隆盛で、どこかジャズオルガンの存在の輪郭が見えずらくなり、今日に来ているような気がします。

 日本のジャズオルガンの第一人者の KANKAWA にしても完全にポピュラーなオルガン演奏です。ジャズとはどこか言いがたいところがあります。

 その、ジミー・スミス以降の生粋のジャズオルガンは、果たしてどんなものなのだろうかという、素朴な疑問がまだ残っている今の状況で、アルベルト・マルシコの存在は、とても面白いと思います。作曲の才能にも恵まれた彼の演奏は、ヨーロッパのジャズの範疇だけに収まらないおもしろみがあると思いまます。特に、日本においては、受け入れられる部分がかなりあると思います。

 ワンホーンライクなソロにおけるメロディーラインの取り方などは、単なるハードバップ調ではなく、新感覚的です、「新感覚」というのはもはや古い概念で、少々時代遅れと言われると思いますが、ことジャズオルガンの世界では、新鮮なのだと思います。そして、アメリカ人の演奏とは違い、ヨーロピアン的なクラシックの伝統を感じます。やはり独特です。かと言っても、5曲目「Nica」でのこてこてのソウルフルな演奏も、見事に仕上げます。この点は、スピリチュアルの演奏で証明済みだと思います。

 テナーサックスの Diego Borotti は、他のミュージシャンに喩えれば、ケニー・ギャレットのような極太でざらついた、激しい音を出します。かといって、羽目を外すことはなく、見事にスイングします。このへんは、コールマン・ホーキンスを彷彿とさせるし、ジョニー・グリフィンもイメージできます。とにかく、ご機嫌です。

 そして、最後にドラムのアレッサンドロ・ミネットです。彼のドラミングは、一言で言えば、冷静かつ大胆です。リズムキープに徹しながら、音楽の流れによって、大胆なドラミングを展開します。演奏が盛り上がって佳境に入ると、とてもエネルギッシュな叩きをしてきます。他の演奏者を圧倒できる存在感を発揮します。一聴すると音は、繊細ではない感覚を持ちますが、元々の音のレンジの幅が広いので、表現力はまったくもって他に劣りません、器が大きいといって良いと思います。この作品でも、出しゃばらず、かといってしっかりと決めるところは決めています。

 オルガンジャズの神髄を聴きたい方は、絶対におすすめです。

 なお、この作品は CD 媒体では発売されてはいないようです。お求めは、iTunes などからなら可能です。

 7曲目「Soul Song」は、ゴスペル調で超ご機嫌です。



4/4


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Kenny Dorham『The Flamboyan,Queens,NY,1963』

 ケニー・ドーハムは、『クワイアット・ケニー』との出会いのタイミングが、彼の印象を決定づけるような気がする。それも、一生涯にわたって。

 一般的には、どことなく中途半端でこれといって特徴の無いハードバップ時代のよく、名前がジャケットにクレジットされているジャズメンで終わってしまう。しかし、『クワイアット・ケニー』での、物静かで清楚なトランペット演奏を聴いたとたんに、印象が決定的に変わってしまう。この作品の演奏を気に入った方は、いわゆる<静かなケニー>を中心軸にその後、ケニー・ドーハムというトランペッターを聴いてゆくことになる。そうしないと、どこか見失ってしまう危険姓があるから。

 しかし、ケニー・ドーハムの演奏活動全体を見渡した場合、『クワイアット・ケニー』は、本質からちょっとズレた<異質>なのだと思う。それに捕らわれてしまうと、木を見て森を見ないことになる。

 kumac は、ケニー・ドーハムの最高の仕事は、プロフェッツの演奏だと信じる。実際に聴ける作品は、『Round About Midnight at the Cafe Bohemia』で聴けるのみであるが、ハードバップの歴史上でも、最高部類のライブ録音だと信じている。

 以上の二つの表情を往き来したのが、ケニー・ドーハムではないかと今は思っている。

 この作品は、1963年1月の録音。テナーにジョー・ヘンダーソンを配している。これはプロフェッツで J.R.モンテローズを配したこととの延長線上に考えても良いような気がしている。ケニー・ドーハムという男は、図太い音色の相棒を好んだということではないだろうか。これは、マイルス・デイビスがコルトレーンを好んだ思考に似ていると思う。

 至って、標準的なハードバップのクインテット演奏であるが、実に味わい深い。どうして味わい深いのかというと、ストレートに吹いているからだと思う。例えば、3曲目の有名な曲『サマータイム』でのテーマ演奏からアドリブに続く、一連の音のラインは至極、まっとうである。さらっと吹くわけでもなく、感情を高めた部分では力みを見せてくれるし、名演では決してないが、聴きやすさがある。自然と沈思する、奈落の底に落ちてゆくような、そんな無味乾燥な(別な言い方をすればブルージーな)味わいがある。

 これが、好きになれば、ケニー・ドーハムのジャズメンとしての一生を受け入れることは容易になるのではないかと思ったりもするけど、それは kumac だけの悪趣味であるのかもしれない。

 メンバーは、Kenny Dorham(tp)、Joe Henderson(ts)、Ronnie Mathews(p)、Steve Davis(b)、J.C. Moses(ds)。


The Flamboyan, Queens, New York, 1963/Uptown Jazz

¥2,303
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Mccoy Tyner『Just Feelin』

 1991年のマッコイ・タイナーのピアノトリオ作品。メンバーは、McCoy Tyner(p)、Avery Sharp(b)、Louis Hayes(ds)。

 新しく始まった Apple の Apple Music の再生をランダムにして(ただしジャンルはジャズ)、聴いていて、気になった作品です。何が、気になったのかというと、ここまでマッコイ・タイナーのピアノトリオ演奏で、コルトレーンのある一つの形の完成形である『至上の愛』の精神を希求した演奏をかつて聴いたことがなかったからでした(突き詰めると、タイトル曲だけかもしれませんが)。

 マッコイ・タイナーがコルトレーンの元から離れ、独歩し始めたとき、彼の中にはコルトレーンが求めた音のイメージが、ずっと消えない残像として残っていたと思います。それを、自身の作品で再現するのに、壮大なオーケストレーションを使った音で試みた感があるのですが、小編成のコンボの作品では、ほとんど聴いたことがありませんでした。kumac 自身があまりマッコイ・タイナーの、それ以降を意識して聴いていないことが大きな理由ではあると思いますが、どうも出会えなかったと言ってしまいたい衝動にもかられます。

 コルトレーンのシーツ・オブ・サウンドを彷彿とさせるタイナーのピアノ演奏が惜しみもなく聴けるのがこの作品だと思います。演奏自体の精神性については、マッコイ・タイナーにコルトレーンを否定する要素はありませんから、必然的に、『至上の愛』ををなぞらざるを得ない印象となるのではないかと思います。

 問題は、ドラマーです。ロイ・ヘインズが駄目ではないのですが、どうしてもエルビン・ジョーンズの叩きが必要になるという、至極保守主義な感覚を持ってしまいます。この作品、エレクトリックベースに持ち替えたりもする Avery Sharp のベースに疑問視が付くようですが、それはあまり関係ないような気がします。問題は、ドラミングです。

 コルトレーンのカルテットでのマッコイ・タイナーの演奏が気に入った方なら、絶対に気に入ることのできる作品ではないかと思います。

Just Feelin/Quicksilver

¥1,790
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Bud Powell『Bud Powell In Paris』

 kumac は、いわゆるジャズの巨人と言われている人は苦手です。チャリー・パーカー、レスター・ヤング、デューク・エリントン(ビッグバンドだけ)、ビリー・ホリデー、チャーリー・クリスチャン、そしてバド・パウエルもです。食わず嫌いではないのですが、「凄い」、「偉大だ」、と世間から褒め称えられれば、称えられるほど、その言葉に惑わされて、ついつち落ち着いて聴けない精神状態に陥ってしまい、結局は何が良いのかさっぱりわからなくなる始末です。かろうじて、ビリー・ホリデーやレスター・ヤングぐらいはその凄さがなんとなく感じることはできている。他に、セロニアス・モンクやチャーリー・ミンガスなどがいるけど、幸い性格的に馬が合ったのかどうかわからないけど、お気に入りにはなっている。

 で、バド・パウエルですが、その凄さがさっぱりわからないのです。ジャズの歴史の中で、その奏法がそれまでのブギウギやラグタイムのストライド奏法、スイング系統の単なるリズム伴奏楽器の枠から開放し、なおかつシングルトーンで自己主張するホーンライクなそれまでと比べて革新的な演奏が生まれる先鞭をつけたミュージシャンとしての位置づけは、理論としては理解できるけど、それが果たして後世のピアニストの演奏と比べて良いものかどうかと単純に比較すると、さほどではないという結論に達してしまうのです。むしろ、その録音の悪さや、さしたる演奏でもないのに、歴史的価値みないたことからレコード化されて、聴かされることに、辟易してしまうことの方が多いのも事実ではないかと思います。

 ブルーノートの『ザ・アメイジング・バド・パウエル』は、さすがに凄い演奏だと思うのですが、かといって他の作品も追っかけをして聴いてやろうとは思わない。どうしてか、理由は単純で、いわゆる演奏に「癖」がないのですね。凄い演奏には、癖のあるものと至極当然のものとがあるような気がしています。セロニアス・モンクは「癖」があるのでいくらでも聴きたいと思うのですが、バド・パウエルは、次に何が出てくるのかという、スリル感がないのです。偉大だけに、どれもかも絶対的な演奏になってしまって、おもしろみがないと言ってもよいのかもしれません。

 くどくどと書きましたが、それでこの Bud Powell『Bud Powell In Paris』ですが、結論から言えば、とても面白いです。どこが?と尋ねられれば、答えは、「普通の演奏だから」ということになるのでしょうか。どこもかしこも、「何かやってやろう」という力みが入っていません。いわゆる、自分が正直に出ている演奏でしょうか。kumac のベストナンバーは8曲目の「I Can't Get Started With You」です。このタッチの柔らかさ、そして気持ちの広がり、こんなにデリケートなピアノトリオ演奏は滅多にお目にかかれません。

 ということで、この作品は、kumacの記憶の中に永遠に残る愛聴盤になりました。

バド・パウエル・イン・パリ(SHM-CD/紙ジャケットCD)/Warner Music Japan =music=

¥2,580
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Bill Evans『I Will Say Goodbye』

 1977年5月11日~13日の録音。メンバーは、Bill Evans の(p)、Eddie Gomez の(b)、Eliot Zigmund の(ds)です。

 冒頭のこの作品の表題曲、「I Will Say Goodbye」がとても印象的な作品です。まさに、エバンスのリリシズムの極地と言えそうな雰囲気を持っています。曲自体が、美しいバラードで、それも耽美的な音の反射光を使った、陰影の少ないものなので、余計にエバンスのタッチや、音の選びの良さが際立ちます。

 2曲目「Dlphin Dance」は、ハービー・ハンコックの曲。ここでは、3者のインタープレーを十分に楽しむことが出来ます。エバンスが自分の音に没入すると、その精神的な密度の中にエディ・ゴメスもエリオット・ジグモンドもなかなか入れないところが、余計にエバンスの孤独を感じてしまいます。

 3曲目「Seascape」は、これも冒頭の曲と同じような美しいバラードです。冒頭の曲にも感じましたが、エバンスのタッチが柔らかいです。これは録音もあるのでしょうが、一音一音のタッチの響かせ方が、ふくよかです。ペダルの使い方が初期と変わってきたのかもしれません。自分の空間に放たれた音を確かめているという印象です。ソロの部分では、リズミカルに引くのですが、なんかちょっと物足りないです。やはり、ラファロ、モチアンのトリオを連想して比較してしまう、ということでしょうか。

 この作品は、曲自体が、とても美しい、そしてメロディアンスなものが選ばれて演奏されています。そして、そのどの曲も、なんかちょっと悲哀を帯びたのが多いです。聴いていると、ちょっとこっちまで悲しくなってきます。その最たる演奏が、4曲目「I Will Say Goodbye」です。同じ曲が二つは言っていますが、どちらかがおまけと言うことではないと思います。こちらのテーク2の方が kumac は好きです。作品の流れの中で聴いているせいかもしれませんが、1曲目の方がちょっと、全体の構成のバランスが悪いような気がします。テンポも不安定です。

 5曲目「The Opener」が、この作品中の唯一のエバンスのオリジナル作品です。ここでは、アグレッシブなピアノタッチの演奏を聴くことができます。このトリオで約11年続けた最後時期の作品ですが、さほどに成熟しているとは思えないところが残念ですが、それを上回るエバンスの綺麗で歯切れの良いピアノ演奏が聴けるのが嬉しいです。

 聴いて、絶対に損をしない作品だと思います。



アイ・ウィル・セイ・グッドバイ+2/ユニバーサルクラシック

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Chick Corea『Expressions』

 1994年録音のチック・コリアのソロピアノによるスタンダードナンバー集です。

 kumac は、タッチの歯切れの良さ、それに反応(周りの環境や、ミュージシャンの音、時代の感覚等も含め)の身軽さは、ジャズミュージシャンとして、ちょっと頭一つ抜け出ていると感じています。そこが、器用貧乏と言われないところが、チック・コリアの凄いところだと思います。ややもすると、好奇心旺盛で色々なところに手を出したり、やたら色々なミュージシャンと共演したり、そして作品も出したりと、節奏のなさが気に触るところもないわけではないのですが、いざ聴いてみれば、さすがにある一定水準を保っているわけで、この点、何もずぶの素人が言える問題ではないです。

 どうしても、同時代のピアニストとなると、ハービー・ハンコックやキース・ジャレットと比較したくなるのですが、自分を見事に消し去る力は、チック・コリアが一番あるのではないかと思います。自己主張しないピアノも弾けるということは、なかなかできそうで、できないことです。

 ですから、このスタンダード集でも、弾むようなタッチやリズミカルな音の繋がりなどチック・コリアらしさは随所に見られるのですが、原曲が持つ雰囲気を壊すような演奏には走らないです。かといって、チック・コリアでなければ聴けない音はきちっと響かせています。そこは自己主張と言えば言えなくもないのですが、自己陶酔しないで相手(この作品の場合は、曲です)を引き立てるという点では、その見事さは一線を引いても良いのかなと思います。


 星影のステラ~チック・コリア・ソロ・ピアノ/ユニバーサル ミュージック クラシック

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Jimmy Smith & Wes Mongomery『The Dynamic Duo』

 1966年録音。先日紹介したジミー・スミスの作品『Livin' Up!』と同様に、ジミー・スミスのヴァーヴ時代の作品で、オーケストラをバックとして演奏したもの、そのアレンジも同じくオリバー・ネルソンです。

 しかし、大きく違うことが二つあります。一つは、タイトルに示されているとおりに、この作品は、ジミー・スミスのものではなく、ウエス・モンゴメリーというもう一人の主人公がいること。しして、オリバー・ネルソンのアレンジがまったくもって、ジャズの本道をゆく、ダイナミックでキュートでブルージーなものであることです。当然に、ジミー・スミスとウエス・モンゴメリーのソロを含めた演奏自体も、ジャズっています。だから、ヴァーヴのCTIレーベルへの続く、インストメンタルなムード・ジャズとはなはだ違う景色となっています。

 当然に、kumac はこちらの方が好き、大好きです。オリバー・ネルソンのアレンジは簡単に言うと、彼の代表作『ブルースの真実』を彷彿とさせるものです。さらに言えば、バックのオーケストラのメンバーは最強です。リズム隊は、リチャード・デイビス(b)、グラディ・テイト(ds)の名前があり、ホーンセクションにも、フィル・ウッズ(as)、クラーク・テリー(tp)の名前が見られます。当然、バッキングなどとても歯切れの良い音を聴かせてくれます。

 演奏される曲は、ゴスペル(「Down By The Riverside」)、リズム&ブルース(「Night Train」)、ジミー・スミスのオリジナルのブルース(「James And Wes」)など、ジャジィーで色の濃い曲が多いです。それだけに、演奏はご機嫌です。さらに、どの曲でもジミー・スミスとウエス・モンゴメリーのソロが素晴らしいです。互いに、技というか、どんなご機嫌なフレージングが表現できるか競い合っている感じが、嬉しいです。

 ジミー・スミスとウエス・モンゴメリーとオリバー・ネルソンのトリオ作品と考えて良さそうです。良いものを聴かせていただきました。

ダイナミック・デュオ/ユニバーサル ミュージック

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