Satori Kawakami『Ballerina』 | kumac's Jazz

Satori Kawakami『Ballerina』

 以前、ドキュメンタリー作品で、評価を得たある若い映画監督と表現の話をしたとき、「作品で主張したいことを観客に伝わるようにするのに心がけたことはありますか?」という私の問に対して、彼女は「言いたいことは、声を小さく」するようにしたと、応えてくれました。

 この川上さとみの新作『バレリーナ』の冒頭の作品「ダマスク・ローゼズ」を聴きながら、何故かそんなことを思い出しました。最初に2曲に、印象が強く残る力強い作品ではなくて、バラードタッチの静穏な曲を持ってきたことから、意外性を感じ、そう思ったのかもしれませんが、どうもそれだけではないような気がしながら聴いています。

 つまり、激しい曲であろうとなかろうと、タッチが「さりげない」のですね。ちょっと、表現が(自分が感じている感覚を表すのに)十分でないかもしれませんが、「そのさりげなさ」が極まりつつあるような気がします。もっと、高みはあるのでしょうが、あたかも頂点に達したかのような印象があります。

 具体的に書けば、3曲目「テン・フィンガーズ」は、『Diamonds』の、印象が強く残る冒頭の「Royal Road」に繋がる印象を持つし、4曲目の「パールズ」は、『Orchid』の冒頭の「Blue Violet」に繋がる印象を持ちます。それは、川上さとみのこれまでの演奏を代表する作品、彼女の個性(タッチの美しさ、濃くのある音の余韻等)を強く感じさせるのですが、冒頭の「ダマスク・ローゼズ」とそれに続く新作 CD のタイトル曲「バレリーナ」は、これまでの彼女のどれでもない、すがすがしさを感じさせます。その「すがすがしさ」は、最初に書いた「声を小さく」ということに関係するような気がします。力を入れず、「さりげなく」演奏している、そのことが強く伝わってきます。

 もっと、書けば、「さりげなく」表現できることは、かなり難しいことだと思います。得てして、平坦になってしまい、つまらない作品になりがちです。その理由の多くは、肝心の自分を表現できていないからだと思います。でも、川上さとみは、この作品で「さりげなく」自分を表現しています。力を込めなくても、いち音いち音の、音そのものが個性を感じさせるものに近づいている気がします。

 ライナーノーツ氏が、「あなたのピアノの源流はどこにあるのでしょう」と川上さとみに尋ねたときの話を書いています。川上さとみは、キリッとした顔になり「自分は自分、他の誰とも似ていない」と応えたと。

 以前、kumac も同じような質問をしたことがあります。「影響を受けたジャズピアニストは誰ですか」といった質問だったような気がしています。答えは即座に帰ってきました。「いない」と。それは、彼女の意志の強さだと、そのときは思ったのですが、そればかりではないものを、この『バレリーナ』を聴いていて思った次第です。

 屁理屈はこれくらいにして、人生が一日一日の偶然の繋がりだとしたら、その二度と無い一日の休息の一夜に、疲れた身を癒やすには、このバレリーナはもってこいの作品です。


Ballerina/ポニーキャニオン

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