kumac's Jazz -90ページ目

joshua Redman Elastic Band『Momentum』

 kumacは、ジョシュア・レッドマンがこれほど進化しているとは思ってもいなかった。どうせ、いつもの同じレッドマン節がきけるだけだろう、やっていることは同じって感じで思っていた。斑尾で聴いたときも、ブルーノート東京で聴いた時も、思いは同じだった。普通の、ジャズコンボに、うまいアドリブって感じです。

 しかし、kumacのフリー・ジャズ・コンボのドラマーが、こりゃあ凄いって騒いでいたので、4年ぶり位にジョシュア・レッドマンの新譜を買った。聴いた第一印象:ウエザー・リポート、第二印象:マイルス・デイヴィス。第三印象:デューイ・レッドマン。それで、ジョシュア・レッドマンはいつものように、上手で盛り上がる、アドリブを聴かせてくれている。

 しかし(2回目でスミマセン)なんかが、いつもと違う。それって、この『モメンタム』っていうかエラステック・バンドっていうか、超かっこいいのです。センスがいいっていうか、音に無駄がなく、それでいて自由度が高い。現代の時代を的確に捉えているって印象です。これはただものではないぞって感じですかね。リラックスして聴くジャズが多くなった今、時代と格闘して生み出そうとする真の骨太なジャズです。これが、本当のジャズだぞ!!と言いたくなります。過去ばかり、振り返るな、時代を感じろって言われているような。

 あのサックスをななめ横に構え、次第にエキサイトしてくるジョシュア・レッドマンが目の前で演奏している気分ですね。ブルーノート東京のライブ、聞きてぇぞ!!。あと、このブライアン・ブラッド等のドラムは最高です。ナマで聴いたら、ぶっ飛ぶでしょう。kumac的評価4.5(5点満点)



Joshua Redman Elastic Band

Momentum

Jhon Pizzarelli『New Standaeds』

 kumacは、ボーカルは苦手だ。ジャズ・ヴォーカルのCDもさほど持っていない。最初に、好きになったボーカリストは、ベティー・カーターだ。ちょっと、入り方がエラやサラやカーメンなんていう人達と違うことからも頷ける(自分で勝手に納得するなってもんだ)。でもって、男性ボーカルとなると、これが全く駄目で、唯一、カウント・ベーシー楽団の専属ヴォーカリストでもあった、ジミー・ラッシングだけが、好きなボーカリストである。
 最近はまっている吉祥寺のジャズ喫茶「メグ」の寺島靖国氏の著作『JAZZ晴れ、時々快晴。』で寺島氏は書いている。「この世に「ジャズ・ヴォーカル」なるジャンルは存在しないのである。ジャズらしい歌い方と普通のヴォーカルらしい歌い方の違いがあるだけである」と。これ、目から鱗です。この考え方は、必ずしも100%正しいとは思わないのだが(ベティー・カーターみたいな声を器楽的な使い方する人だっている)、でも名言である。寺島氏は、なにを言いたいかと言えば、ジャズ・ヴォーカルってもっと気楽に聴いていいんじゃないってことです。
 話がそれてきましたが、kumacがジミー・ラッシング以外に持っている男性ジャズ・ヴォーカルと言われるジャンルのCDは、このジョン・ピザレリ『ニュー・スタンダード』1枚だけです。今となっては、どうしてこれ買ったのか記憶がありません。今、改めて聴いてみると、とっても乗りがよく、アドリブの要素がふんだんにあります。彼自身、ギターを弾きながら歌います。その、ギターの演奏が、とってもジャズィーなのです。とっても、スイングしているのです。よって、ボーカルも肩の力を抜いて、気分よく聴けるって訳です。
 今、どうしてピザレリかと問われれば。答えは簡単なのです。そう、ブルーノート大阪にナマを聴きに行くってことにしたからという単純な理由なのですが、様々な曲に挑戦する彼の姿勢を楽しみたいと思います。たまには、男性ヴォーカル如何ですか?kumac的評価4.5(5点満点)
John Pizzarelli
New Standards

John Coltrane『Live In Japan』

 夏はコルトレーンで決まりだ!閉め切った部屋の中、汗だく、大音量で聴くコルトレーンほど、自虐的な喜びはない。これって、天使になってしまったような気分になってしまうう。うっ、うっ、来たぞ、来たぞって!もんだ。こうなったら、正直に言おう。kumacの最も好きなベーシストは、ジミー・ギャリソンである。この、コルトレーンの黄金のカルテットで、最後まで行動を共にしたミュージシャンは彼だ。アリス・コルトレーンやラシッド・アリなどわけのわからない人達が加入してきた中、彼だけはバンドの核心部分を守っていた。それは、目に見えない根っこの部分であり、安心して至上の愛を実現するための通奏低音なのです。
 でもって、ジミー・ギャリソンの最高の演奏がこれ、『ライブ・イン・ジャパン』であると疑わない。最高の演奏、という言い方が疑問であれば、残された最良の記録、と言ってもいい。地響きする音、苦しみもがくソロ、なんと言ったら良いか、これを聴かずしてジャズベースを語る資格なしである。かく書く、kumacは、一度だけしか聴いていない。それもFMラジオから流れる音を。つまり、CD持っていない。今、ジョシア・レッドマンの新譜とともに、一番に買い求めたいCDである。kumac的評価4.5(5点満点)
ジョン・コルトレーン, ジミー・ギャリソン, アリス・コルトレーン, ラシッド・アリ
ライブ・イン・ジャパン

Jhon Lews『Grand Encounter』

 吉祥寺のジャズ喫茶「メグ」の店主寺島靖国氏の書籍『哀と悲しみのジャズ日記』で、このジョン・ルイスの『グランド・エンカウンター』のジャケに写っている女性への言及がある。詳細は忘れたが、この微笑みがなんとも素敵で、寺島氏は気に入っているらしく、この女性(名前はkumacが忘れた)を知っている方に直接お話を聞いて、今はおばあちゃんってことを知らされ(当たり前のことですが)、聴かなきゃ良かったって書いてます。この女性(マリアだったか?違うね)違うジャケにも写っていて、その作品がどれだったこれまた忘れました(飛行機が後ろに写ってい、その前で別れを惜しむ男女が抱き合っているジャケです)が、寺島氏の女性が写ったジャケット好きはかなり有名ですよね。
 で、この『グランド・エンカウンター』は、秋吉俊子ビッグバンドで重鎮として鎮座ましましたビル・パーキンスの甘味なテナーを聴けるし、ジョン・ルイスの指を丁寧にピアノに落としながら一音、一音確かめるように、周囲との調和を保ちつつ、きれいなアドリブを進めるとってもしっとりとした演奏も聴けるし、良質のジャズです。ジャズの中のジャズって言ってもいいですね。
 「2度東3度西」が、この演奏メンバーが東海岸から3人(ビル・パーキンスとチコ・ハミルトン)、西海岸から3人(ルイス、パーシー・ヒース、ジム・ホール)から来ているとは、初めて知りました。kkumac的評価5.0(5点満点)
ジョン・ルイス, ジム・ホール, パーシー・ヒース, ビル・パーキンス, チコ・ハミルトン
グランド・エンカウンター

Duke Ellington&Ray Brown『This One's For Blanton』

 この作品は、デューク・エリントン楽団に在籍し1942年に若くしてなくなったベーシストであるジミー・ブラントをに捧げた作品である。録音された1972年にはもちろんジミー・ブラントはこの世に存在しない。それでベーシストは、レイ・ブラウン。レイ・ブラウンは、少年の頃にデューク・エリントン楽団のベースの音を聞いて、それまで弾いていたピアノからベースに楽器を変え、練習に励んだとライナーノーツで書いている。その手本となったジミー・ブラントの役を勤めることは、とても栄誉なことになる。重厚でしかも粘りのある低音で、どっしりとしたどうどうたる演奏である。

 デューク・エリントンのピアノは、変幻自在な音を操り、あたかもオーケストラのような音をピアノで表現する。しかし、この作品では、彼にしては寡黙である。その分、レイ・ブラウンのソロ演奏が十二分に聴ける。どちらかと言えば、デュークは、引き立て役に徹している雰囲気だ。これも、また珍しい、あのジョン・コルトレーンとのB級作品とまた違った、積極的な引き立て役である。こんな、デュークを聴けるのもそんな多くはない。

 レイ・ブラウンのベースを堪能するなら外せない1枚だ。kumac的評価4.0(5点満点)



DUKE ELLINGTON

This One's for Blanton (Gold)

Eric Dolphy『Out To Lunch』

 kumacが初めてドルフィーを聴いたのは、仙台の駅前にあったジャズ喫茶「AVANT」であったような気がする。それは、「AVANT」がドルフィーがフルートを吹く姿をマッチ採用したからかもしれないが、初代マスターの頃の8割フリージャズの時代には、「AVANT」に行けば、必ずドルフィーが聴けた。その後、「AVANT」は、店長が二代目に変わり、内装がモダンになり、フリー系のジャズをあまりかけなくなり、はいからなジャズバーと成り果てて、やがて場所の借り主との調整がうまくいかなくなって、立ち退いてしまった。店長は再開を、画策していたが、ついぞ今でも、「AVANT」が再会したとの話は聴いていない。店が閉まって、とあるうどん屋の2回にレコードやCDが仮住まいしていたところまでは知っていたが、あのLPやCD達はどこに行ってしまったのだろうか。
 話が変な感じになってしまったが、この『アウト・トゥ・ランチ』は、ドルフィーの作品としては、一つの作品として、演奏の意図や音作りが明確であり、かつ、完結している意味で、最高である。演奏で言えば、他にも沢山よいものが残っているドルフィーであるが、一つのLPを作品ということで考えると、こんなに一つの色に染まるものはない。ブルーノートの重厚な音も、ドルフィーの演奏としては貴重な記録であり、『ラスト・デイト』の最後の輝きとは、正反対の生命力を感じさせる。kumac的評価4.5(5点満点)
エリック・ドルフィー, フレディ・ハバード, リチャード・デイヴィス, ボビー・ハッチャーソン, トニー・ウイリアムス
アウト・トゥ・ランチ

Gerry Mulligan&Paul Desmond『Blues In Time』

 1957年に録音されたこのアルバムで、ジェリー・マリガンとポール・デスモンドは初競演をしている。これ、ちょっと意外ですが、ジェリー・マリガンはマイルス・デイビスのクールの誕生などニューヨークのジャズシーンで頭角を現し、1952年にロサンジェルスに移っている。その後は、映画関係の仕事などを中心に生活していた感じかな。一方の、ポール・デスモンドは根っからのウエストコースと生まれ(サンフランシスコ)で、1951年にあのデイブ・ブルーベック・カルテットに加入し、その活動が中心だった。それで互いに共演する機会がたまたまなかったって感じですかね。でも、この二人の大御所が、ロスとサンフランシスコという近い場所んい住んでいれば、競演は時間の問題ってことですね。どうして競演が実現したのかは、わかりませんが、録音がニューヨークってことを考えれば、Verve Recordsが仕組んだ感じですね。
 「感じ」ばっかりになってしまいましたが、太陽燦々、明るい乗りのウエストコースト・ジャズの神髄をポール・デスモンドが聴かせてくれますって書きたいところですが、デイブ・ブルーベック・カルテットでの明確なテーマから解放されて、またあくまで知的に決めようとするジェリー・マリガンの無機質的なアドリブに引きずり込まれてか、本来持っているアドリブの才能を開花させて、自由な演奏を聴かせてくれます。これって、ジャズの神髄ですね。結果、ニューヨークで録音されていますが、まさにウエストコースト・ジャズのエッセンスが聴ける作品です。kumac的評価4.5(5点満点)
jerry_m&paul_d
ジェリー・マリガン, ジョー・ベンジャミン, ポール・デスモンド, デイブ・ベイリー
ブルース・イン・タイム




Kenny Burrell『'Round Midnight』

 kumacは、基本的にデトロイト出身のミュージシャンは大好きだ。ビリー・ミッチェル、トミー・フラナガン、サド・ジョーンズなどなど。その中で、ギターでは、ケニー・バレルが最高である。彼の、ブルージーなしっとりとした音が好きである。テクニックでガンガン迫るタイプではなく、シングルトーンでブルーノートを効かせてじっくりと音符をおいてゆく。その、涙があふれるような音の間が好きだ。勝手なことをいたせてもらえば、ジャズギターはテックニック派とブルース派に分かれるような気がするが、彼は、そのどちらにも属さない、ギターの扱いをホーン奏者のように音のラインでメロディーを重視する。タル・ファローでもなく、ウエス・モンゴメリーでもなくましてや、グラント・グリーンでもない。どちらかと言えば、チャーリー・クリスチャンの系譜か。

 50年代や60年代に、ブルーノートなどに数々の名盤を残しているが、kumacが最初に買った彼の作品は(まだLP時代)この『ラウンド・ミッドナイト』である。1972年録音の比較的新しいアルバムであり、A面3曲目の表題曲は、ジョー・サンプルのエレクトロニック・ピアノが入ったりする。夜に静かに聴くにはもってこいの、しっとりと開いた名盤である。kuamc的評価4.5(5点満点)



Kenny Burrell

'Round Midnight

Miles Davis & John Coltrane 『Live in Stockholm 』

 7月17日はジョン・コルトレーンの命日だ。ジョズファンの多くは、この日に、一人静かに、家の中でターンテーブル(CDが席巻する今となっては必要がなくなりつつあるが)にコルトレーンの気に入ったこの1枚を乗っけて、聴きまくる。kuamcは、何故かこの日に、超久しぶりに(約10年ぶり)ジャズ喫茶「COUNT」に突入し(この時点でコルトレーンの命日とは気づいていない)、昼間のビールの酔いを醒まそうとしていた。

 ALTECのスピーカーから聞こえてきたのは、最初にソニー・ロリンズ『ワーク・タイム』(LP)、次に知らないおじさんのピアノ・トリオ(CD)、そして最後に『マイルス・デイヴィス&ジョン・コルトレーン ライブ・イン・ストックホルム 1960』(LP)。ジャズ喫茶の親父は、コルトレーンの命日にちなんで、これかけたんだと今は思っている。マイルスのライブは、いつものとおり、かなり実験的で、メンバーにソロの時間が比較的自由に割り与えられ、お前の最高の音を出してみろって感じで、実技試験っぽい感じである。マイルスのソロは、どこまでもクールでかっこいい。自分の、覚めた世界に観客を引き込む。それにと対照的に、コルトレーンはシーツ・オブ・サウンドの前兆を感じさせる、いや、シーツ・オブ・サウンドそのものと言ってもいい、エモーショナルな演奏に徹している。マイルスの枠から飛び出そうと必死となっている。もがいている音だ。そこがなんとも、微笑ましくもあり、新しい音楽が産まれる瞬間を感じ取れるライブ演奏である。

 まだ、フリー感覚の演奏に入る前のマイルスと自己の世界を完成させつつあるコルトレーンの演奏を聴ける、新しいジャズの時代が生まれる前夜の貴重な記録である。kumac的評価4.5(5点満点)(LPはもう手に入らないので、今、聴けるCDで表示)



マイルス・デイヴィス, tp, ウィントン・ケリー, p, ポール・チェンバース, b, ジミー・コブ, ds, ジョン・コルトレーン, ts

イン・ストックホルム1960コンプリート

Tommy Flanagan『Over C』

 このトミー・フラナガン『オーバーシーズ』は、彼の最高傑作である。kumacは、断じて疑わない。エルビン・ジョーンズのキレキレの迫力あるドラミングに対して、一歩も引かないフラナガンである。どちらかと言えば、脇役として有名な作品にサイドメンに名を連ねていることが多い彼だが、ここでは明らかに自己主張しまくりである。ある種、挑戦的な前衛ジャズ(といっても、あくまでハードバップですよ)。ジャズ喫茶の大迫力音で聴くと、これたまらなく鳥肌が立つ。音との格闘が始まり、血まみれになること間違いなしである。
 トミー・フラナガンと言えば、来日時に、NHK-FMの収録番組にトリオで登場し、その音のきれいさ、スイング感、迫力に舌を巻き、これだ!って叫んだ夜を思い出す。本格的に聴くぞって、そのときに思ったら、お亡くなりになってしまった。kumac的評価5.0点(5点満点)
Tommy Flanagan Trio
Overseas