ドナルド・L. マギン(著)・村上 春樹(訳)『スタン・ゲッツ 音楽を生きる』(新潮社) | kumac's Jazz

ドナルド・L. マギン(著)・村上 春樹(訳)『スタン・ゲッツ 音楽を生きる』(新潮社)

 1996年に原著が発行されたスタン・ゲッツの評伝です。ジャズの形を語る上では彼の名を特段に語らなくても、そのおおよの変遷は語れると kumac は思います。しかし、ジャズの表情を語る上では彼抜きでは決して語れないと思います。つまり、「屁理屈はいいから、彼の演奏を聴いてみろ、これがジャズだ。」ということで100人中100人が凄いと感じるはずです。もし、凄いと感じなかったら、それはジャズとは何か分かろうとはしない人です。

 

 それほど凄いジャズミュージシャンのしっかりとした評伝が、日本語で読めないことがとても kumac には不思議でした。それで原著を買って読もうとしたのですが、最初の一行で止まってしまいました。無理です。

 

 例えば、FOREWORDと書かれた序文の冒頭では、「NATURE PROVIDED  Stan Getz with abundant talents for music:perfect pitch, an uncanny feel for rthythmic nuance, gret sight-reading skills, and a photographic memory.」と書かれていますが、それを訳者は「天はスタン・ゲッツに惜しみなく音楽の才能を与えた。絶対音感、リズムのニュアンスに対する類いまれな感覚、見事な読譜能力、そして驚くべき写真記憶」と訳しています。直訳すると「abundant talents」は「豊富な才能」。「uncanny feel」は「並外れて鋭い感覚」となります。大して違いはないのですが(いや、全然違うだろうと言う方がほとんどででしょうか・・・)、これを延々と387ページもある分厚い本と一文字一文字格闘する気力体力は kumac にはありませんでした。

 

 そしたら、しばらくして、図書館の音楽のコーナーの書棚になんとあるではありませんか。邦訳が。しかも邦訳は、誰しもが一番適していると考える村上春樹です。

 

 ジャズメンの評伝は、どれもけっこう厚い本です。kumacがこれまで読んでここで取り上げたものは、チェット・ベイカーの評伝であるジェイムズ・ギャビン、(訳)鈴木玲子『終わりなき闇 チェット・ベイカーのすべて』』(河出書房新社)、スコット・ラファロの評伝であるヘレン・ラファロ・フェルナンデス、(訳)吉井誠一郎、(監修)中山康樹『スコット・ラファロ その生涯と音楽』(国書刊行会)、ジャコ・パストリアスの評伝であるビル・ミルコウスキー(訳)湯浅恵子『ジャコ・パストリアスの肖像』(リットーミュージック)、ビル・エバンスの評伝であるキース・シャドウィック『ビル・エバンス 〜ミュージカル・バイオグラフィー』(シンコーミュージック)とあります。この中で、kumac が一番大事にしているのはチェット・ベイカーの評伝です。大事にしているという表現はかなり語弊がありますが、一人の人間の一生を丁寧に描いている点で印象深く、有名なジャズミュージシャンということを抜きにして、自分の生き方を振り返えさせられる人生を語る力を持っているからです。

 

 で、この『スタン・ゲッツ 音楽を生きる』は、そのチェット・ベイカーの評伝に近いものがあります。演奏スタイルや演奏技術、その才能がどうして培われたのかについては、どの評伝も書いていますが、チェット・ベイカーのそれに近い点は、どうしてあの音楽が生まれたのかきちんとその生物的で精神的な背景を捉えているということです。そこに正解はないのですかれど妙に納得させられてしまいます。

 

 スタン・ゲッツの音楽性については、村上春樹の<叙情と悪魔>と表題が打たれた「訳者あとがき」を読めば十分かなと思います。えっ、それだけ、と言われそうですが、つまるところそうです。

 

 その上で、興味として、どういう状況であの録音されたのかを知りたければ、大体の録音時の生活やそれに到る状況がわかりますし、技術的なことや持って生まれたと思わせる培われた才能のことは幼年時代のページを読めばおおよそ分かります。

 

 問題は、どうしてあれほど薬物・アルコールに依存していたスタン・ゲッツが、薬物(酒類を含む)摂取中の演奏にも関わらず素晴らしい演奏ができたのかという問いです。村上春樹はそこまでのことに踏み込んでいません。この本は小説ではありませんから当然のことです。

 

 その問いへの答えは、もう周知の事実なのかもしれませんが、この本を違った視点で読めばなんとなく見えてくるところはあるのではないかと kumac は思っています。それは、精神科の病気を持っている方のリカバリーという視点で読むことです。その視点で読むと、つまりは薬物・アルコール依存症からリカバリーした人の物語として読むということです。

 

 kumac が読後に感じた問いへの答えは、失敗を恐れ完璧を求めた弱い人間だったからこそ素晴らしい演奏を残した、ということです。「失敗を恐れ完璧を求めた弱い人間」というのは、成功した父方の家族と貧しい母方の家族の狭間で成功を息子に託した母親と託された子という図式に現れてきます。その重圧からスタン・ゲッツが逃れる方法は音楽しか無かった。演奏中には自分が最も成功した人間になれたのです。そして常に成功を自分に課した結果、音楽から離れた瞬間に彼には失敗の恐怖が襲ってくるのです。だから日常では薬物や酒を飲まないと恐怖から逃げられなかったということになります。

 

 かなり穿った見方を書いています。そして、この評伝の半分以上は家族との飲酒にまつわる問題が描かれています。なので、音楽的なものをこの評伝に求めると長々とくだらない家族間のもめ事が事細かに書かれており、退屈するし、面白くないと思われる方も多いかと思います。

 

 でも、例えばアルコール依存症の方のリカバリーという視点で読むと面白いです。キーワードを羅列すると、2つの違った考えのAA(アルコホリクス・アノニマス)、同じ薬物・アルコール依存症だった1番目の妻、抗酒剤を本人に隠して飲まし続けていた共依存の2番目の妻、アルコール依存症からリカバリーした経験を持つ3番目の妻、何度もスリップしても見放さなかった友人達やAAの仲間達、入院治療によるファミリーセラピー、アルコール依存症になった息子等々・・・。そういう視点でこの本は書かれていませんが、アルコール依存症の方のリカバリーの例としてとても良い書籍ではないかと思います。

 

 つまるところ、スタン・ゲッツもただの人間だったということです。誰でも何か得意とするものはあるのですから。だから、冒頭の序章に書かれていることで言えば、天はスタン・ゲッツちょっとの運を与えたのではないでしょか。誰にも才能はあるのですし、天は誰にも平等に才能を与ているのではないでしょうか。もし、天(自然)がスタン・ゲッツに与えたちょっとの幸運だけなのかもしれません。

 

 最後に、今はとても便利な時代になりました。この本を読みながら、そこで描写されているセッションや録音の記述は、Spotifyなどのアプリがあればいつでも簡単に、もちろんお金はかかりますが、リアルタイムで聴くことができます。例えば、スタン・ゲッツが酒を断つことができたとき癌に冒されていることが分かります。スタン・ゲッツはどうして今、やっと立ち直ったのにと思うのですが、体力が持たず息切れする体を押しのけて演奏する『People Time』の記述を「First Song」を聴きながら読んでいると涙が溢れてきます。いや、鳥肌が立ってしまうとうまさにこのことです。