Fabrizio Bosso『Shadows, omaggio a Chet baker』 | kumac's Jazz

Fabrizio Bosso『Shadows, omaggio a Chet baker』

 イタリアのトランペッターのファブリッツォ・ボッソがチェット・ベイカーが残した日記『ロストメモリー』の朗読と共演し、ピアノの伴奏だけで演奏する動画の配信です。

 

 これは ATER Fondazione というイタリアのネットワーク劇場(インターネットによる音楽を含めた舞台芸術の配信事業)による録画配信です。録画はイタリアのエミリア=ロマーニャ州リミニ県にある町のレジーナ劇場で行われました。多分、公開されたのはこのブログを書いている今朝(午前4時頃)ですね。

 

 kumac にとっては、2つの点でとても興味深い演奏です。一つは、朗読という人間の<唄>ではない<読む>という声自体(会話)への興味です。言葉が、言語が身体に染みついた「音」としての特徴が露わになると言う意味で、言語の魅力をどう感じることができるか、そしてジャズとの関わり方、例えば白石かずこや吉増剛造と沖至のコラボみたいな覚醒が起きるのか。

 

 もう一つは、ファブリッツォ・ボッソの演奏です。このステージはでチェット・ベイカーに捧げたものですが、ファブリッツォ・ボッソはチェット・ベイカーが残したいわゆる名演奏を演じているわけではありません。あくまでファブリッツォ・ボッソのスタイルで、日記の朗読に対してトランペットで会話しているイメージです(ピアノジュリアン・オリバー・マッツァリエッロも加わります。)。このストリーミング配信の説明だと「ベイカーのメモはファブリッツィオ・ボッソのトランペットによって返され、彼の思い出はマッシモ・ポポリツィオの声によって返されます。」と Google さんが翻訳してので、対話というよりも、イタリアの俳優マッシモ・ポポリツィオが語るチェット・ベイカーの日記に対して、その区切り区切りで言葉への応答をトランペットで行っています。それは即興のメロディではなく、既成の思い出の詰まった曲による応答です。思い出とは、ファブリッツォ・ボッソの思い出とチェット・ベイカーのメモ(日記)とがシンクロするなにものかなのでしょうね。この辺りは、画面を見ていると事前にシナリオがきちっとあるようですが、ファブリッツォ・ボッソの前には譜面台がありませんから、即興で曲を演奏しているのというよりも、多分、曲名とタイミングは決まっていたのでしょうね。

 

 声に出して読むと言う行為とそれを聴くという行為。それによって伝わってくる人の魂、感情と言ってもいいのかもしれませんが、とても魅力的なイベントです。

 

 ファブリッツォ・ボッソのトランペットは、テクニックは一級品ですが、幅が広いです。ウィントン・マリサレスの饒舌さがあるかと言えば、ルイ・アームストロングの陽気さもあり、ロックやヒップポップなどの現代的な感覚もあり、ゴスペルあととても楽しめます。このステージでは、「You don't Know what is Love is」や「So What」などを演奏していますが、それはあくまでチェット・ベイカーに捧げた演奏です。とても演奏が控えめです。チェット・ベイカーの魂に言葉という声を通じて触れることで生まれる心境なのかなと思います。

 

 とりとめがない感想になりましたが、いいものを休日の土曜の朝に触れさせていただきました。