Kenny Barron『Book Of Intuition』 | kumac's Jazz

Kenny Barron『Book Of Intuition』

 録音は、2015年6月3日、4日です。メンバーは、ケニー・バロンの(p)、Kiyoshi Kitagawa の(b)、Johnathan Blakkeの(ds)です。

 

 これといった特徴がある作品ではない印象を持ちました。ケニー・バロンは、玄人好みの演奏をするという記憶なのですが、さすがに自分のソロアルバムとなると、なにかを表現しようとする意識が強いのでしょうか、それが逆に彼の個性を消しているような気がします。自己主張をしようとする余り、アグレッシブな演奏をし過ぎているような気がするのです。それが、空回りして反応するベースとドラムスが妙に五月蠅いです。

 

 なんとも褒めるところにない作品ですが、こう書いたのは決してこの作品がダサい思っているわけではなく、演奏自体はすごくセンスの良いジャズの王道をゆく、スタンダードなものなのです。では、ケニー・バロンの良さはどこに見いだせるのか、この作品のコンセプトはどこにあるのか、と自問自答を行うと答えが出てこない。これには、困りました。

 

 結論は、今日はこういう音楽を聴く気分ではないということです。だから、この作品がどうのこうのということではありません。

 どちらかというと、メンバーのKiyoshi Kitagawa と Johnathan Blakke とのセッションを楽しんでいるという作品です。だから、ケニー・バロンは敢えて自己主張をして、ベースとドラムスにこれでどうかという挑戦状を出しているようです。

 

 ミデアムからスローな演奏は、安心して聴けます。それは、体質的にケニー・バロンと合っているのでしょうね。こんな断言を kumac ごときがしてもなんら根拠もないし、なんら拘束力も無いのですが、3曲目「Cook's Bay」のミデアムな曲におけるケニー・バロンの手さばきは楽しいです。いろんな引き出しを持っています。ワンパターンに陥らないところが凄いです。個性がないのが個性という裏返しには、誰にも真似ができないその人だけの持つ魅力が備わっている証拠になります。つまりは、人は個性を持つ必要がないし、個性というものが仮に感じられたら、それは誇張なのだと思います。だから、飽きが来ますし、いつしか薄っぺらく感じてしまいます。

 

 褒めているのか、貶しているのかわからなくなっていますが、基本的に褒めているのです。今時、このような安定的なジャズの演奏ができるピアニストはあまりいないような気がします。なにが安定的なジャズの演奏かと言えば、ロックの影響がないということです、そういうことで言えば正統派、純血種を保っているということでしょうか。差別的なことを書いているのではなく、純血種がいないと、交配が複雑になり、どこかでジャンルの垣根がぶっ飛んでしまうということです。それは、それで良いというご意見もあるでしょうし、その方が面白いということなのでしょうが、ある面で言えば純血種は希少動物として保存展示され、死蔵されてしまうということで、その時点で消滅をするということです。

 

 消えて無くなることは、必然としても、すこしでも長らく生存して欲しいと思うのは人情というものです。