Mimmo Cafiero『Domani e Domenica』 | kumac's Jazz

Mimmo Cafiero『Domani e Domenica』

 イタリアのドラマー、Mimmo Cafiero のピアノトリオのリーダー作です。Mimmo Cafiero については、詳細はネットでググってもよくわかりません。録音は、1996年5月6日及び7日です。ジャケットの写真を見る限り、年齢は50歳(録音当時?)くらいでしょうか(外国人の年齢は見た目ではよく分かりませんが)。
 
 ドラマーのリーダー作だからと言って、ドラマーの演奏は目立ってはいません。ジャケット表面(おもてめん)に、リーダーと共にピアノの Salvatore Bonafede とベースの Paolino Dalla Porta が併記(字の大きさは幾分小さいですが)されているところからも、あくまで曲の持つ情緒を引き立たせるためのリズム楽器としての役割に徹して、好きな音楽を奏でる、といった作品になっています。
 
 とは言え、全7曲中3曲は自身のオリジナル曲です。その一つアルバムの表題曲の「Domani e Domenica」は、ドミニカ共和国に関係する曲ですが、リズム的にカリプソの要素がある曲です。この辺は、Mimmo Cafiero の趣向が入っているのでしょうね。長い演奏の曲で、様々なドラムとベースとピアノの掛け合いが聴かれます。こういう、一聴するとあまり目立たない地味な演奏を入れてくる辺りは、この作品良さと言えると思います。
 
 よほどジャズが好きで無い限り(バックグラウンドとしてただ流すだけなら差し障りはないのですが)、嬉々としては聴けないと思います。
 
 次のオリジナル曲は「Sud」という、タイトル通りとても淡い、悲哀に満ちた曲です。美しいです。
 
 そして最後、三曲目のオリジナル曲は「Rosa」です。この曲は、他の曲と違い輪郭が不鮮明です。何かを強調しようというものではなく、よく分からない自分の感情というか、印象を表現しようとしています。それが、何かが聴き手にはよくわからない、ということです。多分、タイトルに込められた意味があるのだろうなと思います。
 
 どこの地域、国の文化でも、地理やその時代や、時々の権力者の主義趣向によって、そこで暮らす人々が考える<かっこよさ>というものが違います。同じ時代や国においても、若い人とある程度歳をとった人でも全く違います。
 
 そういうことで言うと、イタリアは家族を大事にする印象があります。それは音楽とどう繋がるかと言えば、若い人達が社会(大人)に反抗する音楽に、つまり音楽を武器にして社会や大人達と戦おうとはしないのかなと思います。ロックもそうですが、ジャズはその反抗とい点で賢い音楽だと思うのですが、それが(全くではありませんが)抜け落ちたのがイタリアのジャズなのかも知れません。
 
 悪い意味ではありません。社会によって良い潤滑油になるという意味では、とても他大事なことです。その良い例が、この作品だと思います。