生活向上委員会2016+ドン・モイエ | kumac's Jazz

生活向上委員会2016+ドン・モイエ

 梅津和時は、一度しか生では聴いていないと思う。それは、私がまだ大学1年生だったとき、1977年頃だったと思う。八王子のアローンのさよならコンサートで聴いた、1回のみであった。しかし、梅津和時がそこにいたことは知っていたが、演奏自体生活向上委員会管弦楽団としての集団演奏だったので、井上敬三以外のミュージシャンの記憶はほとんどない。

 

 しかし、若かりし頃の kumac は、大いに刺激を受け、その後のジャズに対する姿勢に大きな影響をこの時の体験により受けている。生活向上委員会といいう名は、そのときに生まれ、その後数年続いて消えたと思っていた。

 

 そこに、先日、梅津和時が隣町に来るという、そして何とかというバンドとのコラボだという。kumac は、てっきり、コラボの相手が「渋さ知らズ」だとそのとき咄嗟に思った。梅津和時自体は、聴きたいとは思わない。そして、渋さ知らズも、あのワンパターンはもう聞き飽きた。変化のないジャズは、心地よく聴くという点では、緊張と理解を無理強いしないものでなければいけない。そういう変化のないジャズ(いわゆる普遍性)は、またジャズの本来のあり方の一つだと思っている。

 

 そんなわけで、聴きに行く気はなかった。

 

 でも、数日前に友人から、チケットが1枚余っているのであげると言われた。送られてきたチケットに添付されていたパンフレットには、「渋さ知らズ」ではなく「生活向上委員会」という言葉が書かれていた。何を今更、そんな名を冠するのだろうか?。という疑問が kumac には生じた。それで、現在形の生活向上委員会とはどういう演奏をするのだろうか、という興味で聴いてきた次第です。

 

 結論を言えば、「生活向上委員会」という言葉は、人寄せパンダです。kumac みたいな昔を懐かしんで50,60代の、へそ曲がりのへんてこりんな人間達を呼び込もうとする算段だと理解した。とは言っても、こんなド田舎に人と変わったことに興味を持つ人間は、そうは多くない。隣町の教育委員会は、生涯学習に対する積極的な仕掛けを行っていると、ちょっと聞いた。例えば、映画館のない街なので、月に1回定期的な文化的な香りのする映画の上映会を行っているとか、新聞に、面白い企画を仕掛けていると紹介されていた。多分、その一環で、宮城出身の梅津和時に白羽の矢が飛び込んだのだろう。

 

 演奏は、休憩時間を挟んで前半と後半に別れていた。そして、演奏内容も、かなり違っていた。演歌と民謡の違いまではない程度であるけど。

 

 前半は、フラッシュバックしたかのような、定型的な、なんら変化のない普通のフリージャズ演奏だった。多分、原田依幸に、梅津和時が寄り添ったのだろう。このなんか懐かしく、自分も歳をとったな(緊張が持続しなくて付いて行けない)と思わせる演奏の中で、ドン・モイエだけが、とても自由にリラックスして演奏していたのが印象的だった。まったく、力むところがない。それなのに、すべてが音楽となっていた。平坦な音の中に、ドン・モイエのドラミングが時々際立っていた。

 

 後半は、少しリラックスした演奏に入った。つまり、緊張の糸が切れたわけではなく、音に寄り添う感覚が漂ってきた。ただ、原田依幸だけは自分のフリージャズニストとしての領域を死守しようとしてつまらなかった。梅津和時の演奏は、最初に書いたように、生で聞いたのは大昔だったが(それも特定の演奏は記憶にない)、テレビなどでたまにバックで演奏する姿を見ていると、演歌っぽい印象を持っていた。日本的な情緒であるが、まさに熱唱していた。ドン・モイエは相変わらず自由であった。

 

 演奏自体は、面白かった(後半のみですが)、これは、絶対にキャパ100人程度の小さな箱で聴けばまるで違った雰囲気になったと思う。これが一番残念だったことだ。もし、満員の会場であったら、彼らの熱気は中を舞って、客を巻き込み一体となってカオスを生み出したであろうに、実に、実に残念であった。