Filippo Viganato『Plastic Breth』 | kumac's Jazz

Filippo Viganato『Plastic Breth』

 1987年に伊ヴェネトに生まれた Filippo Vingnato (フィリッポ・ヴィニャート)(Trombone , Filters)による作品。他に、Vannick Lestra(Fender rhodes , Synth Bass)、Attila Gyarfas(Ds)が加わっている。録音は、2015年3月8日(パリ)及び8月21日〜22日(ハンガリー)と CD にはクレジットされている。レーベルは、イタリアの AUAND RECORDS だが、どうもこのフィリッポ・ヴィニャート 

の活動の場は、イタリアに限らず、パリを中心としたヨーロッパ全域ではないかと推測する。

 全くの現代音楽である。それにジャズの要素が加わったと理解した方が良いのではないかと思う。ジャズにおけるトロンボーンの変遷を考えると、かなり初期から重要な要素を占めていた。それは、ジャズがまだトラディショナルな集団演奏の形態が主だった時期に、音の広がりを創り出す、重要な役割を持っていたからだと思うし、そもそも楽器としてクラシック音楽では欠かせない主要が楽器として認知されていたから、また軽音楽に置いても中音域の膨らみを出すためには欠かせない楽器となっていた。

 それが、ビーバップ以降、器楽演奏のソロがメインとなってから、楽器の特徴からなかなか主役を張れない時期が続いた。今でも、トロンボーン奏者の作品はあまり出てこない。結局、J.J.ジョンソンを筆頭とするハードバップの時代において、単楽器としてのそろによるアドリブ演奏が確立されて以降、それを打ち破る奏法や音作りは見当たらないと言っていいのではないだろうか。それ以外は、やはりオーケストレーションの中で、相変わらず音の領域と膨らみをもたらす重要な楽器としての位置を保つしか、生きる道を見いだせないでいる。

 極端なことを書いているが、この作品は、では、そのどちらかと言われれば、アンチ J.J. ジョンソンである。自分のCDを出す段階で、すでに主役になっているわけであるから、集団演奏になるかならないかという選択肢において、トリオという形態になれば、ソロ楽器としての作品とならざるを得ないのだが、かといって単純にオリジナルだろうがなかろうが、ある楽曲をテーマにして自分のアドリブ演奏の妙を世に示そうとするものではない。その意味で、アンチ・・・である。

 しかし、シンセサイザー奏者がクレジットされているように、音は単純ではない。言ってみれば、新しい音、刺激のある音、自分が求める演奏に必要な音、をの音に対してどうシュミレートしてゆくか、ということがこの作品の肝ではないかと思う。それ自体が、新しい現代のトロンボーンの世界の音への挑戦、みたいなことだと思う。本人にとっては、それがジャズだろうが、そうでなかろうがあまり関係はないのだろうと思う。この作品の音を聴いていると、そう思わざるを得ない。ただし、ドラマーの音は、完全なジャズのアプローチである。

 江戸時代、無類の動物好きの将軍徳川吉宗に中国の商人から献上された象が、東海道、箱根の関所越えを行い江戸に連れてこられ、将軍に披露されてから約22年間生きたと言われているが、その時々に、聞こえたであろう象の嘶き、といったことをイメージするとよく理解できる( kumac だけかな?)作品である。とにかく、娯楽の要素はほとんどない。聴く側は、実験音楽を聴かせれている感覚になると思う。

 そういう音楽が好きな人はこの世の中、いくらでもいる。実験であるから、成功・不成功が結果として存在しているわけで、その結論がどの時点で示されるのかということが問題としてあるけれど、今はまだそういう時期ではないということだろう。ただし、面白いことには間違いない。

 一番ジャズらしい演奏は、8曲目「Stop This snooze」辺りかな。一定の規則性を持った単純に3人の演奏が絡み合う、いわゆるフリージャズである。感情なり、意思をぶつけ合うという感覚である。その意味で、聞きやすい。音にひずみもなく、演奏は洗練されている。全体的には、アルバムタイトルが示すように無機的な音である。そういう演奏が好きな人には、快感である。